2021/07/28

オランダ代表が「五輪監獄」に抗議したニュースについて。僕も「海の見える独房」を体験しました


連日オリンピック関連のニュースが洪水のように流れる中、下のニュースが目に留まりました。

「五輪監獄」で外の空気も吸えず… 隔離のオランダ代表が抗議

元記事を読むと分かりますが、新型コロナウイルスの検査で陽性となったオランダ代表選手らがホテルに隔離され、その環境があまりにも劣悪だからと、オランダのオリンピック委員会がIOCに提訴したというニュースです。

以下、引用します。

陽性となった選手は「数日間にわたり新鮮な空気を吸えず閉じ込められていた」と説明。部屋を出られるのは食事を受け取るときのみで、食事の献立は「毎日同じ」だという。

私はオランダ選手団とも日本オリンピック委員会とも何の利害関係もありません。それでもこの記事を読んで他人事のように感じられなかったのは、自分自身も「新型コロナウイルスに対する検疫処置としてのホテルでの隔離生活」を体験しているからです。

2020年の6月、そして2021年の6月、私は米国から日本に帰国しました。検疫体制が厳しくなっていることは百も承知でしたが、私は私なりに「不要不急」ではない、やむを得ない理由があったのです。その理由は100%個人的なもので、本稿の本筋でもありませんので割愛します。

あるいはオリンピック選手が隔離されているホテルと、帰国者の私が隔離されたホテルでは、状況は異なるかもしれません。しかし、細かい違いはあるにせよ、どうやら似たり寄ったりなのではないかとも思います。

とりあえず、私が自分の身で体験した様子は以下の通りです。長文ですが、お付き合い下さると幸いです。


1回目のホテル隔離:2020年6月

1回目の帰国はもう1年以上前になります。コロナ禍年表みたいなものがあるとすれば、第1波が収まりかけてきた時期にあたります。

このときは成田空港で入国ブースに入る前にPCR検査を受けました。鼻の穴に細い綿棒を突っ込む、あの大変に不快な検査です。

この頃はPCR検査の結果が出るまでに数日かかるということで、結果が出るまでは政府指定のホテルに隔離されます、という話でした。

そこまでは事前に聞いて、納得はしていました。空港からビニールシートで目張りされた、まるで犯人護送車のようなバスに乗せられて、我々帰国者が連れて行かれたのは空港から遠くない某ビジネスホテルでした。政府が建物すべてを借り上げ、検疫隔離される人たちをそこに収容していたのでした。

ビジネスホテルですので、とにかく狭いです。ベッドの他には隙間しかありません。デスクらしきものはついていますが、ラップトップコンピューターがはみ出してしまうくらいの冗談みたいなものです。もちろん窓も開きません。その他にままごとセットのようなユニットバスがついています。












私は日本人としても小柄ですので、この狭さでも何とか不自由なく生きていけることはできます。しかし、大柄な人は便器に座ったら膝がドアにぶつかってしまうのではないか、と想像してしまいます。

何はともあれ、この部屋に3日間、陰性結果が出るまで待機したわけですが、それは滞在と言うよりは、むしろ「監禁」とか「拘禁」に近いものでした。

とにかく、部屋から一歩も出れないのです。1日3回の食事は運んでくれますが、そのときはドアのノブに弁当を入れたビニール袋がぶら下がっていることを「館内放送」で知らされ、それを受け取るときだけしかドアを開けることは許されません。












隔離期間中、飲酒は一切できません。ホテルの施設案内によれば、廊下には自動販売機コーナーもあるし、1階にはコンビニもあります。しかし、そこに行くことは許されません。何しろ部屋から一歩も出れないわけですので。好きなビールやおつまみを買って、部屋に戻る、なんてことはもっての外です。

そして食事。これはちょっと大変です。毎日3食、お仕着せの弁当がドアの外に運ばれてくる。それを食べるしかありません。

私にはアレルギーは特にありませんし、宗教的な禁忌もありません。ここ数年は流行りの糖質制限食を食べていますが、お米やパンが食べられないというわけでもありません。元々は日本人ですので、日本のお弁当を食べることには抵抗もありません。しかし、外国人にはさぞつらいことではないでしょうか。

せめて、自分が好きなものを食べたいし、飲むものは自分で選びたい。それだけのことがこの隔離生活では許されないのです。



















上はある日の弁当、下は別の日の弁当です。よく見ると、内容が違うことは分かります。だけど、日本食に慣れていない人の目には、同じようなものだと映ったとしても無理はないかもしれません。

紙パックのお茶に注目して下さい。私は日本人でありながら、緑茶というものはあまり好みません。食後にはコーヒーの方が好みです。しかしそれを望むのは無理だと分かっていました。せめてお茶の代わりにただの水を飲みたいと思い、ホテルのフロントに電話しました。

「済みませんが、次の食事の時から、お茶の代わりにお水のペットボトルを持ってきてくれませんか?」

「申し訳ありませんが、規則でそれはできません。メニューは変えられないのです」

「お水を頼めないのですか?」

「お部屋の水道は飲料水ですので、そちらをお飲みください」

部屋の水道とは、つまりユニットバスの洗面台についている蛇口のことです。便器のすぐ横についています。

そりゃまあ、日本の水道は清潔だと、私は知っています。しかし、やはり抵抗はありました。若いスポーツ選手などは、生まれてからずっと、水と言えばペットボトルから飲むものだと思ってはいないでしょうか。

私は幸い、PCR検査の結果は陰性でしたので、この隔離生活は3日で済みました。もし陽性結果が出ていれば、あと10日以上は続いていたはずで、もしそうなっていたらと想像するだけで恐ろしいです。


2回目のホテル隔離:2021年6月

こんな隔離生活も2回目となれば、もはや驚くことはありません。このときは成田空港ではなく、羽田空港に到着する便で帰国したため、連れて行かれたホテルは横浜のずいぶん眺めの良い場所にありました。しかし、隔離生活そのものは前回と同じです。










ホテルの窓からこんな景色を眺めながら、部屋に籠りっぱなしで3食差し入れられた弁当を食べる日々を想像してください。

私は既に経験済みでしたので、今回は耐えきれないとまでは思いませんでした。人はどんなことにも慣れるものなのでしょう。

ただ、腹立たしく思ったのは、私はこのとき既にワクチン接種済みであったし、日本に来る前には10回以上のPCR検査を受けて、そのすべてで陰性だったのです。

日本入国のルールも前年に比べると一層厳格化されていました。まず帰国便に搭乗する前72時間に受けたPCR検査の陰性証明書が求められ、かつ日本に到着した際には空港で抗原検査の結果が出るまで待機させられ、その上ホテルで3日隔離された後にもう1回PCR検査を受けさせられ、そこで陰性となったら初めて釈放されます。しかしそれでも残り11日間は自宅などで待機して、公共の交通機関は利用しないように、と「宣誓書」を厚生労働省あてに提出させられます。

そんなん、自己申告でしょって思うでしょうが(実は私もそう思っていました)、帰国後14日間は所在通知アプリでの報告を義務づけられ、さらには毎日のようにビデオ通話がかかってきて、自分の顔と背景を見せるように言われるのです。

そんな犯罪者のような追跡を当局から受けるわけですが、私が今回やったことは単に母国に帰国しただけです。新型コロナウイルスに感染している可能性はゼロではなかったでしょうが、日本在住の日本人と比べて、さほど高かったとは到底思えません。と言うより、10回以上検査を受けて、またファイザー社ワクチンの2回目接種を終えてから3か月以上は経っていました。その時点では平均的な日本人よりずっと感染の可能性は低かったと思います。

しかし、日本のお役人というのは(どの国のお役人も同じようなものかもしれませんが)、そういった個別の事情は一切考慮してくれないのでした。

東京都がオリンピックを招致したときは「おもてなし」を世界にアピールしました。果たして、その約束は守られているのでしょうか?



2021/07/20

『The New Yorker』にクロスフィットに関する長~い記事が掲載されました

『The New Yorker』は米国ですごく有名な、そして権威がある雑誌です。村上春樹さんも最初にこの雑誌に短編が掲載されたことで米国でも有名になり、ひいては世界的に有名になりました。

そこに掲載されたこの記事のタイトルはズバリ。「クロスフィットに未来はあるか?」

https://www.newyorker.com/sports/sporting-scene/does-crossfit-have-a-future


クロスフィットの創成期から昨年のCEO交代劇までの歴史を綴った大作です。例によって、勝手に翻訳したいところではありますが、とにかく長い。紙にしたら4,5ページはあるんじゃないかな。ちょっと無理です。

1点、誰もが興味はあって、でも誰も教えてくれなかった情報が含まれています。

ローザさんがグラスマンからクロスフィットを買ったときのお値段。いくらだったと思います?

グラスマンが指を2本出して「こんだけや」と言ったとしましょう。

2本て、2億円? 20億円? 200億円? それとも2000億?

「答えは吹きゆく風の中にしかない、マイフレンド」

と村上春樹さん風にボブ・ディランの歌詞を引用してもいいのですが、折角だからお教えしましょう。

約200億円です。

Glassman’s number was two hundred million dollars. He would keep the company’s two corporate planes, and he made it clear that there would be no negotiating.

「1円たりとも、まからへんで」とグラスマンのおっさんはローザさんに言ったそうです。

ローザさんは「ワイはカネのためにやっとんとちゃう。クロスフィットが好きなんや」と答えたそうです。

誰かドキュメンタリー映画にしてくれないかな。