4年前の秋、仕事を辞めた。コンサルティング会社で11年、メーカーのIT部門で14年、大学を卒業してから合計25年間の間、IT関連のサラリーマンが僕の職業だった。就職して最初の3年は日本にいたが、その後はずっとアメリカで働いてきた。
退職は必ずしも自分から望んだタイミングではなかった。特に好きな仕事ではなかったが、さほどきつくもなく、収入も生活も安定していた。あのまま定年まで同じ職場で働き続けていたとしても、特に不満はなかっただろうと思う。
だが世の中はそれほど甘くない。会社のリストラクチャリングによって、僕がいた部署そのものがアメリカから撤退してしまうことになったのだ。それだけなら世間ではありふれた話だし、自分が特に不運だとも不幸だとも思わない。それでもいざ我が身に降りかかってくると、これはこれで人生の一大事には違いない。
会社都合の退職ということで、割増した退職金が支給されることになった。次の就職先を探すために半年ほどの猶予も与えられた。だが、何故か、別の会社でまたサラリーマンをやろうという気持ちになれなかった。
僕はずっとスポーツが趣味だった。趣味と呼ぶにはいささかのめり込んでいたかもしれない。その頃は週5日はクロスフィットというフィットネス・ジムに通っていた。だから、サラリーマンを辞めたら、好きなことでメシを食う、クロスフィットのコーチになる、と周囲に言っていた。
退職の日が近づいてきても、次の予定は何も決まってはいなかった。一応、コーチの資格は取得していた。だが、僕がその頃通っていたジムではコーチの口は塞がっていたし、どこか別のジムで雇ってもらうという話も全くなかった。とりあえずフリーの身になったら、久しぶりに日本を1か月ぐらいかけて旅行しよう、ついでに100キロマラソンというものを走ってみようぐらいのことしか考えていなかった。と言うか、それ以外のことを考えるのが億劫だった。
ある程度の蓄えはあったし、家のローンも終わっている。とりあえず生活の心配はないし、今の世の中だから飢え死はしない、何とかなるだろうとは思ってはいたけど、身も蓋もなく偽らざる心境を述べるとしたら、半ばヤケクソで開き直っていただけだった。
そんな退職の日、職場に最後の挨拶をしに顔を出したその足で、クロスフィットのジムに行った。何もそんな日にまでトレーニングをしなくてもよさそうなものだが、どうしてもその日はジムに行きたい理由があった。
全くの偶然なのだけど、僕が退職するその日は、ジムで親しくしていた友達が母国のエジプトに帰国する日でもあったのだ。友達の名前はモハメッド。僕らはモーと呼んでいた。モーは穏やかで絵にかいたようないい奴だった。いつもはにかんだような笑顔を浮かべて、彼が怒った顔を見たことがない。
だが、敬虔なイスラム教徒であったモーにとって、当時のアメリカは住みやすい場所ではなくなってきていた。イスラム国のテロが頻発し、ドナルド・トランプがイスラム教圏の国からのアメリカ入国規制を主張し、大統領選で支持を伸ばしていたのがその頃だ。エジプトは入国規制対象の国ではない。だが、日々反イスラムの雰囲気が高まる中、モーや彼の家族にはつらい出来事、不快な出来事が多かったのだろう。モーは長年住んでいたアメリカを離れ、家族を連れてエジプトに帰国する決断をした。
モーはその夜の便で帰国するという日の昼休みにジムにやってきて、最後にお別れのワークアウトをするというのだ。たかが仕事を辞めるだけの僕がそれに付き合わないわけにはいかないではないか。
そんなわけで、その日僕も彼もそれぞれに穏やかなる心境を抱えてジムに行ったわけだけど、そこでは思いもよらぬドラマが待っていた。
その日の出来事をジムのコーチが長文の記事を書いて、ジムのウェブサイトで紹介してくれた。2年後の今読んでみても、これ以上にあの日の僕を描写した文章は他にない。
だからあえて自分の言葉で語らず、彼女の文章を翻訳して、紹介したい。アレックスと言うのが僕のことだ。なぜ日本人の僕がそんな名前で呼ばれているかについては長くなるので触れない。
――
今日の昼のクラスで信じられないような出来事が起きました。
モハメッド(モー)・カーターがエジプトに帰国します。毎日のようにジムに来て上達を見せていた彼を見送るのは寂しいことです。
さらに4年以上に渡ってジムの一員であり続けたアレックス・カクタニが人生の節目を迎える日でもありました。彼は14年間務めた会社をこの日辞め、来月には100キロマラソンを走るために日本へ出発することになっていたのです。
モーとアレックスが共に特別な日を迎えたこの日、「サヨナラ」を言うために2人が昼のクラスにやってきました。
2人をよく知らない人のために、簡単な説明をします。2人ともスピードと持久力に優れたアスリートです。2人とも小柄で、体格の割にはパワーも備えていますが、ジムの仲間は何よりも2人のスピードと集中力に敬意を払ってきました。
この日のワークアウトはそんな2人に相応しい内容でした。時間制限35分間内に、下に挙げた動作を1ラウンドとし、任意の順番で行い、合計のスコアを競うものだったのです。
· 200メートル走(12ポイント)
· 120回縄跳び(10ポイント)
· 30回ケトルベル・スイング(10ポイント)
· 20回ボックス・ステップアップ(10ポイント)
· 10カロリー・ロウイング(10ポイント)
· 10回バーピー(10ポイント)
アレックスの戦略は全ての動作を順番通りこなすものでした。一方、モーの戦略は得意のランを出来るだけ生かすものでした。
ところが、既定の35分を終了すると、2人のスコアは全くの同点でした。
ジムの仲間はタイブレークとして2人に30秒間の固定自転車でもさせてみたらどうだと笑いました。アレックスとモーの2人もそうでした。
ところが、どちらからともなく、もう1ラウンドやってみて、決着をつけようじゃないかという案が出ました。最初は全くの冗談のようでしたが、どちらかが「俺はやってもいいよ」と呟き、もう一方が合意したことで、この延長ラウンドが実現することになったのです。
ジム内の全員が見守る中、2人の延長ラウンドが行われました。最後の10回バーピーが終了した時、両者の差は僅かに3秒しか違いませんでした。
モーを見送り、アレックスの門出を祝うのに、これ以上の場面は想像することすら出来ません。2人のトレーニングに取り組む姿勢、生き方はジムのメンバー全員を勇気づけてくれます。私を含めた全員がこの日の出来事をけっして忘れることはないでしょう。
――
これがこの日僕らに起きた出来事だ。クロスフィットというものをよく知らない人のために説明すると、クロスフィットのジムでは毎日違うワークアウトのメニューを指定される。そしてその内容はその日ジムに行くまでわからない。指定されたワークアウトを制限時間内に何回こなせるか、あるいは指定された回数をどれだけ速くこなせるか、そのどちらかをジムに来たメンバー全員で競う。いわば毎日ジムの中で運動会をやっているようなものだ。
この日の制限時間は35分。モーと同点だったスコアが何回だったかは覚えていないし、それは重要なことではない。だが、クロスフィットをやってる人ならわかるだろうけど、これだけの量のワークアウトをこなして、2人のスコアが同点になるというのは非常に稀だ。奇跡と言えば大げさだが、単なる偶然と片付けるにはドラマチックに過ぎる。少なくとも僕らはそう思った。
そのドラマがよりによって、この日の僕ら2人に起きたことでジムは沸いた。とは言っても、その時ジムにはせいぜい10人ぐらいしかいなかったのだけど。
それでも皆が大声で僕ら2人だけを応援してくれると、まるで大観衆の声援を受けている気がした。延長ラウンドでは僕もモーも必死だった。体中の筋肉がきしみ、心臓が飛び出しそうだった。決して大げさではなく、このままぶっ倒れてもいいと思った。そして僕は勝った。ほんの僅かの差ではあったけど、あれほど嬉しかったことも記憶にない。
モーは多分、彼の神様に感謝を捧げていたのだろう。僕は彼と違って、祈る神様を持たない。それでも目には見えない何者かが僕らを祝福し、励ましてくれているような気はした。クロスフィットの神様? そうかもしれない。
俺は持ってる。そう感じた。元々楽天的な性格ではあったと思うけど、この日の出来事はさらにその性格を助長し、自分は特別に運が強い人間なんだと確信するに至ってしまった。客観的に見れば、ジムでたまたま友達と同点スコアになったというだけの話なのだが、本人がそう思い込んでしまったのだから仕方がない。
それからしばらくして、僕はまがりなりにもクロスフィットのコーチやら高校のクロスカントリー部の監督やらの仕事にありつくことが出来た。文字通りの貧乏暇なしではあるけれど、願った通り、今はなんとか好きなことだけをやってメシを食っている。
先のことは全くわからない。不安がないわけでもない。だけど何とかなるだろうと思えるのは、あの日のドラマが僕の背中を後押ししてくれているからだ。
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