2019/02/09

クロスフィットと高齢化社会に関する一考察

クロスフィットの公式ホームページ(https://www.crossfit.com/ )が2019年度になってから大きく様変わりしました。それまでのアスリートのハードなトレーニングを中心とした内容から高齢者の医療や健康に関する分野へと大きくシフトしつつあります。

この路線変更に対しての反応は賛否様々ですが(感覚としては、私の周囲では「否」が「賛」を上回っている気がします)、私も高齢化社会とクロスフィットの関係について以前こんなエッセイを某所で書いていたことを思い出しました。よろしければご一読下さい。



スポーツジムと世代間の共生



クロスフィットという名のフィットネスジムでインストラクターの仕事に就いている。1クラスは1時間。人数は少ない時で1人、多い時は20人ぐらいになる。人数が少なくても多くても、あらかじめ決められたメニューをクラス全員で一斉に行うタイプのジムだ。

ジムには様々な年代の人がやってくる。クロスフィットはきついトレーニングで有名なので、20代、30代の若い世代が比較的多い。会員は平均して週に3,4回ぐらいの頻度で通ってくる。会員同士は何回か同じクラスで会っているうちに、互いに挨拶を交わす間柄になり、さらに親しい交流が始まることもある。

インストラクターとして最初の、そして最も大切な仕事は、やって来る会員11人の名前と顔を覚えて、全員に必ず11回は声をかけることだ。そうして会話を交わした会員が延べ何百人になるのか見当もつかない。だが、今でもよく覚えているのが76歳のある男性だ。仮にKさんとする。

76歳のKさんは勿論、ジムの中では飛びぬけて最年長だった。私の父が77歳なので、私にとってはちょうど自分の親の年代にあたる。もっと若い会員たちにとっては、Kさんはまさにおじいちゃんのような存在だっただろう。

Kさんは特に頑健でも健康なわけでもなく、年齢相応に体力が衰えていた。だからジムで行うトレーニング・メニューをそのままこなすことはとても出来なかった。そのためクラスの皆とは別のメニューを彼だけのために作成するのが常だった。

単純にインストラクターの仕事量で言えば、Kさんがクラスにいる時は彼がいない時よりはるかに手間がかかった。別メニューを作成するだけではなく、クラスが行われている間はずっとKさんが転んだり倒れたりしていないか常に注意を払っていたものだ。

普通、こういう人は健康のために運動をしようと思い立ったとしても、高齢者向けのクラブに入るか、11のパーソナル・トレーナーをつけることが多い。その方が教える方も教わる方も効率はいいだろう。

だが、Kさんにとっては、ジムの空間はトレーニングよりむしろ若い世代との交流が主な目的だったのではないかと思う。若い会員たちと談笑し、子供のような私の指示に真剣に耳を傾け(実際にKさんの長男は私より年上だった)、いつも楽しそうにジムにやってきた。

そうしているうちにトレーニング効果も少しづつではあるが現れてきた。以前はベンチに手をついて45度の角度でしか出来なかった腕立て伏せが補助なしで出来るようになり、膝を軽く曲げるハーフ・スクワットしか出来なかったのが、きちんとお尻を膝より低く下すフル・スクワットが出来るようになったのだ。

齢をとると誰でも筋力は衰える。同時に、適切なトレーニングを行えば、どんなに高齢であっても筋力を増やすことは可能である。加齢を止めることは出来ないが、それに伴う体力の低下を遅らせることも、向上させることさえ出来るのだ。私が学んだスポーツ生理学の教科書にはそう書いてある。常識とも言えるだろう。だが、理屈はそうでも、それを実際に行える高齢者は少ないし、私達がそれを目にする機会も多くはない。私はKさんを尊敬しているし、彼のインストラクターになれたことを幸運だったと思っている。

高齢化がますます進行する昨今、高齢者が運動する機会と場所を提供することは、これからの社会の大きな課題になっていくだろう。高齢者専用のトレーニング施設も増えるだろうし、高齢者を適切に指導できる専門のインストラクター育成も必要だ。

それと同時に、高齢者が高齢者だけのグループに固まるのではなく、あらゆる年齢層の人が集まって仲間になれる場所があっていいと思う。Kさんにとっての私達のジムががそうであったように。

トレーニングジムは単に体を鍛えるだけの場所ではなく、コミュニティとして機能できるものだと思っている。そして、そのコミュニティは排他的であってはいけないのだ。

Kさんはクラスを終えてジムから帰るとき、よく「コーチ、助けてくれてどうもありがとう」と私に言ってくれた。だけど助けていたのは私だけではない。Kさんもまたクラスの雰囲気を和らげ、インストラクターとして成長する機会を与えてくれることで、私を大いに助けてくれた。私とKさんは仲間であったし、他の会員もまた同じであったと思う。



福祉と呼ぶに値するかどうかはわからないが、私は私のジムを常にあらゆる世代のあらゆる人達に開かれた場所であり続けさせることが、私にできる社会への貢献だと思っている。


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